障害児を抱えての出産
介護の生活は自分の健康管理がとても大事。
心身共に自分を大切にしないと乗り切れない。
2年前、2度も入院した時にはホントに苦しい思いをした。
もちろん、手術の負担でしんどい自分の体も苦しかったけど
それ以上に家に置いて来ている子供たち
見ていてくれている家族
同じように癌と戦っている父親。
病床の中で思うのは、一刻も早く平常の生活に戻ってみんなを安心させたい、と言うことばかりだった。
思い返すと十数年前、末っ子を出産する時が同じように大変だったのを思い出した。
間違いなく入院しないとならない。
しかし重度障害の長男をどうしたら良いか、と言う事にいきあたり
障害福祉課にも相談した。
ショートステイの日数を増やすことはできる。
しかしどちらにしても預け先の施設に先に予約を取らないとならない。
施設によってはひと月前、ふた月前に予約をしておかなければならない。
しかも陣痛が来ようが流産しそうだろうが、自分で送り迎えしなければならないのだ。
出産予定日がそんなに前にハッキリわかるわけないだろう
結局どこも使えなかったのだ。
当時まだ特別支援学校に行っていた長男を同級生のお母さんが毎日迎えに来てくれ、スクールバスへの送り迎えをしてくれた。
誰もいない時は小学生だった長女が面倒を見ていてくれた。
色々な身の回りの人の手を借りてどうにかこうにか出産を済ませた。
お見舞いに来ると、長男は
「ママ帰るよ」
と言って私の荷物を持っていこうとする。
長女は一人でお見舞いに来て
「ママ、私もう限界」
と涙ぐむ。
たまらず、私は院長先生に泣きつき
1日でも半日でもいい
早く家に帰してくれと懇願した。
帰宅したらしたですぐに赤ん坊を抱えて普通に家事介護が待っている。
案の定二日目には倒れてしまった。
あの時私はどうしたら良かったのだろう?
自分さえ頑張ればみんな平和に暮らせる。
そう思ったのが結局迷惑をかけてしまった。
でも誰も頼れなかったのだ。
障害児が上に居たら次は出産するな、て事なんだろうか。
助産婦さんに来てもらって家で出産する、て手もあったのかもしれないけど
出産直後から家事介護に携われるわけもなく、誰が食事を作ってくれるわけでもないのだ。
恐らく入院しているよりもっと産後の肥立ちは悪くなっただろう。
あの時私はひしひしと感じたのだ。
自分は倒れてはいけない。
いつも心身ともに健康で居ないといけない。
自分が病床に居て助けてくれる人なんて居ないんだ、と
そう思っていなければならない。
たとえ次の新しい命を生み出す時でさえ
行政の手の届かない所でどうにもならない事は起こり
助けてくれるのは身の回りの理解者だけ。
今の制度は変わったのだろうか?
自分の体調管理もできないで
誰かに助けてくれなんて
とても言えないのが現実なのだ。