職人気質
我が愛しき相棒も7年目に入りだいぶご老体となった。
キャブ車、2017年式
生産中止から12年目
250ccは50000キロ走ったら終わり
使い捨て時代はそれで良かったけど
今となってはもう次が無い。
診てくれる職人も
そして
部品もなくなって行く
いずれ消えゆく運命のマルチクォーター
そう言う古いバイクに精通していて
今もこのバイクの事なら大体の事は相談に乗ってもらえる整備士は貴重な存在になって来る。
整備士として独立して店を構えられるところまでイケる人、てのは職人気質の人が多い。
そして商売としてもキッチリやって行かないといけないから、両立が中々難しいのが現実だ。
機械相手の職人気質、て言う人はあんまり人付き合いが上手くなかったりする。
それでも良い仕事をちゃんとして、対価を払う側にも不満が残らず
あの人に任せておけば大丈夫、て信頼さえあれば客はまたその人の店に行く。
日本の職人文化は昔は一子相伝の事があった。
宮大工さんとか、日本独特の文化では顕著にあったことだが
伝えるより見て覚えろ、と言う伝承の傾向がこのような人々にあったのは
いわゆる自閉症傾向のある一芸に秀でた能力を持ち合わせた職人の子供もまた同じような傾向を持っていたかもしれないから
視覚優先の人々の中においてはある意味理にかなった伝承方法だったのかもしれない。
私はこのような、ガタツキはあっても突出した能力を持った人たちを愛してやまない。
昔は突出した能力を評価してもらえる文化が色々あったけど
昨今は車やバイクの整備さえコンピューター制御になり、手作業、知識、プロの勘みたいなものでやれることはどんどん減っている。
最近の整備士学校を出た若い子は、キャブ車の事さえもはや大して学校で聞いていないそうだ。
今のHONDAはすっかり変わってしまったけど
昔創始者が
「最後の一台が走っている限り部品は供給する。」
と言う信念を持って販売していた時代があった。
今は知り合いの整備士さんにもHONDAのバイクや車に乗るならもう見ない、て言われている。
部品が供給され
技術を持った整備士が街の店に居て
買った人は自分の大事に想う愛車を最後まで大事に乗り続ける事ができた。
今はコンピューターがイカれたらお手上げ。
これからの職人は、バイクに語り掛け、何処が悪いか見極め、手づから作業で修理するのではなく
デジタルの数字とにらめっこして均一化された回答を得るのだ。
何かそれは
手先の優れていた昔ながらの日本の職人文化と
大きく違ってしまったような気がしている。
ちゃんとわかってるよ
自分で産んだ孫
そう呼んで可愛がってきた末っ子もこの春で中学生だ。
発達障害でホントに手のかかる赤ん坊だったけど
今となっては、私がいなければ夜も日も暮れず泣いてばかりいたあの頃が懐かしい。
兄姉が歳が離れているせいもあって、いつまでたってもチビちゃんだと思っていたのだけど
いつのまにこんなに大きくなったのだろう、と時にビックリさせられる。
いつも携帯ばっかり見ている末っ子とも
そうそう会話することもなくなったけれど
別に仲が悪いわけでもなく
でも、もういつも一緒ではなくなった。
珍しく用事があって、塾の帰りに待ち合わせをした。
いつもなら車で迎えに行ってしまうのだけど
駅前の用事だったので自転車で向かった。
二人で買い物をした帰り道
菜の花が満開だから見に行こう、と誘ってみた。
自転車の後ろに乗ってみる?
「大丈夫かな?」
ズッシリと体重がかかる。
保育園の頃、自転車で送り迎えして以来だね。
そう言えばもっと小さかった頃は
バイクの後ろにも乗せて走ったっけ。
もう大人と同じ大きさだ。
時の過ぎる早さを想う。
渦中の頃はいつまでこんな苦労が続くんだろう、と思ったけれど
過ぎてしまえば思い出でしかない。
何とか普通の世の中で生きてこれたね。
保育園の頃から訓練に通った甲斐があったのかな。
今でも変わり者だけど
変わり者なんていくらでも居る世の中に
普通に埋もれていて欲しい。
もうそろそろわかっていると思うけど
ちょっとだけ他のみんなとズレてしまう時がこれからもあると思う。
でももう大丈夫かな。
この世の中の一から百まで
全部ママに聞かなくても
段々わかるようになったかな。
学校に行って来るだけでクタクタで
帰ってきたら寝てばかりのお前を
私はなまけものだなんて思わない。
たったそれだけの
普通の世の中での生活をするだけで
全精力を使い果たしていることぐらい
ちゃんとママわかっているからね。
最高のサヨナラ
桜の開花予報が出る頃
テレビには毎年目黒川の桜が映し出される。
その都度苦い気持ちと共に思い出す
自分の過去の失敗
「目黒川の桜ヤバいっすよ~」
と、その人が嬉しそうに送って来てくれた桜の写真はもう手元にない
でも人間不信のかたまりだったその人が、桜を見た感動を私に送って来てくれたことが
とても嬉しかったのを覚えている。
自分の役割ぐらいは心得ているつもりだった。
人間不信で石のように固まっているその人の心が軟化して
一緒に笑えるようになって
みんなと笑えるようになって
少しずつ自分でも世界を広げられるようになって
彼が元気を取り戻していくのを喜びながら
やがて私の元を去っていく日に見送る事を
それでもやっぱりその日は
息もできないほど苦しかった。
その人が居ても居なくても
自分の人生に何の変わりがなくても
目黒川の桜の写真と
独りぼっちで見る翌年の桜の色は
全然違う色だった。
その人はその後もちょいちょい連絡をしてきては
図々しい事この上ない話を繰り返していた。
私が話を聞くからいけないのはわかっていたのだけど
聞けば気持ちがズタズタになるのもわかっているのだけど
どうしても完全に切れてしまう勇気を持てなかった。
結局その先の人間関係でも失敗し
新しい彼女にあっさり見捨てられ
仕事でも東京に残留できず
その人は目黒川のそばから去って行った。
なんのために1年彼に尽くし
なんのために別れの苦しさに打ちのめされ
それもこれも、その人が幸せになってくれれば、と思えばこそで
出会った事になんの意味もなかったのか、と
後の顛末を人から聞いて茫然としたものだった。
何も聞かなければ良かったな、とつくづく思った。
どんなに苦しくても、最も良い別離のタイミングはあったはずだったのに。
人間は弱いものだ。
少なくとも、あの頃の自分は寂しさに勝てなくて
ダラダラと縁を繋いでいた事が失敗だった、と今は思える。
目黒川の桜の季節に毎年思い出す
最低のさよならだった。
良い思い出を後々まで美しいままに残したければ
さよならのその日まで大好きでいて
後は2度と関わらないのが最も望ましい。
できそうで
そんなに簡単ではないけれど。
奥多摩散歩
骨折から1か月。
ようやく大好きな奥多摩に戻る事が出来た。
奥多摩湖の対岸の山はまだ雪が残っていて
春の暖かい空気の中に居ても、冬山を散歩しているかのようだった。
麓の五日市では濛々とスギ花粉が舞い狂っていたけれど
山頂まで来るといくらかそれも少なく、空気は澄んでいて
下界では17℃あった気温もここでは8℃が最高だった。
そこに行けば見知った顔が居て
ようやくまた一緒に走れる、と
弾けるような笑顔で再会を喜ぶことができる。
冬の間走る事ができなくて
春はまだかとぼやいていた日々とようやくさよならです。
バイクが壊れて走れなかった人も
寒くて走れなかった人も
怪我をして走れなかった人も
冬眠していた人も
みんな復活の春
その間どうしてたか、なんて
どうでもいい事で
また元気にここへ来てお散歩できることに
ただそれだけに喜び合える
バイクに乗っていない時の事はよく知らない
ホントの名前も知らない
それでいい
初めてあった人も
長い付き合いの人も
バイクで出会ったら
バイク乗り同士
それ以上の何もいらない。
ようやく巡ってきた
なんの約束もしなくても
みんなにまた会える日々。
元気だったか、の挨拶と
一緒に走る道と
日向ぼっこのお喋りの一日
じゃあまたね、の挨拶でバラバラに帰っていく
次の再会は
またバッタリ出くわした時に
それだけでいい、幸せなバイク乗りの春
■
今日が平和な事に対する感謝、て忘れてはいけないけど
忘れてしまいがちで
あの3・11の日には大災害に怯えてパニックになっていた日本も
この日が巡ってくるまでまた平和な日々に埋没しているような気がする。
まだ特別支援学校に通っていた長男長女と、保育園に居た末っ子を抱えて駆けずり回ったあの日
計画停電に備えての準備も何処も物資が不足して
物流が途絶えて手に入らないものが増えた日々も
それでも家族全員が無事に家に戻れた事に対する感謝でいっぱいだったはずだ。
長男長女の父親は東北に居て被災していた。
あの時の惨状は現地から聞いて知っている。
住んでいたマンションには亀裂が入り退去しなくてならず
ずっと余震が続き
避難所やテントで過ごす人もいたり
何処か店に入っても、お互い風呂に入ってない姿が当たり前で
その日どうやって生きるかと言う事に必死の様子でした。
あの時電機もガスも無い状況を聞き
東京でも手に入らなくなっていたガスボンベやキャンプ用の道具や食料を送ってあげるのにも
調達から郵送までホントに苦労した。
あの後道具は返却で郵送してきたけれど
その後は連絡を取っていない。
無事に平和な生活に戻れたのだろうか。
いつ何処に大地震が来てもおかしくない日本。
それがいつになるかなんてわからないのだけど
備えなくては、と思いつつ
平和な日々に慣れて段々とおろそかになっていく。
忘れてはいけない。
平和な今日も、いつ崩れ去るのかわからない貴重な1日。
私はまだ障害のある子供たちを守ってやらなくてはならない。
これからは親も守ってあげなくてはならない。
あの日のように。
そうかと言って、怯えてばかりで日々暮らしているのでは
少々寂しい気もします。
あの日の事を忘れず
今日と言う日を幸せに暮らし
無事に1日が終わったことに感謝する気持ちを
いつでも持っていたいと思う。
少々何か足りなくても
ちょっとぐらい生きるのに苦労があっても
そのぐらいで不平不満を口にしていたら
あの惨状の真っただ中に居た人々に
命を落とした人々に
とても顔向けできないではありませんか。
完全なる無視
この方のツイートが大好きで
SNSで陥りがちな失敗に出くわした時にはた、と思いとどまることがある。
そうなんですよね。
どのような発信をしようとも、必ずついて回る
何かしら否定や人を笑いものにするような言葉でしか反応できない人、て必ずいる。
SNSに限らないけれど、私は人を否定して自分を正しいと主張する人間が大嫌いだ。
何の根拠もなく自分が絶対正しい、と思っているような人間も。
自己主張は大いにけっこうな事だと思います。
でもそれは人の意見を下敷きにしてはいけないし
自分が正しい、だから人の在り方を否定するもダメ。
自己主張とは
自分はこうである、こう思う。
それだけで良いものだと思うのです。
そういう悪意に満ちた言葉に出くわして
それで動揺した時期もあります。
自分たちを否定して取り上げているのを見て楽しめるような人は良いのですが
私はやはり気分が良くないです。
動揺すると自分がブレてしまうので
上に書いたように、ただ自分はそう思う、それだけ
その心理状態を保つために、自分の中からできるだけシャットアウトすることにし
そこにそういう人間が存在する場所には一切近寄らない事にしました。
無視
無関心
それは愛情から最も遠い心
嫌いだ、大嫌いだ、と叫んでる内は愛情があるのです。
無視する、て簡単な言葉だけど
ホントの意味で自分の心からその存在を消し去って
在るはずのものへ向かう視線を空気のように素通りさせる
無視する、て意外と鍛錬が必要で
動じない心を育てるのはもっと難しい。
「自分の思い通りにならないと拗ねてはぐずる子供」をSNSが利用できる良い歳になってもやっているような人間を無視することは
けっこう日常生活でも必要な鍛錬になっていると思っていたりする。
自分の思いは自分の中にしかなく
自分の考えは自分でしか作り上げる必要がない。
人に同調したり、人を否定したり、攻撃をしたり
そういう事で作り上げるものではない。
そして自分の考えを人に押し付けるのもやっぱり違うと思っている。
自己主張、私はこうです。
そこに返ってくるものを期待せず
それはそれだけのことで
もしも読んだ人の心に、何か少しだけ喚起する思いがあればいいな、と
そのぐらいの事で良いのです。
その貴方の思いを乱すものがあるとするならば
心からその存在を消し去る、完全な無視ができるよう
是非鍛錬してみて下さい。
好奇心は失くさない
繁華街とかショッピングモールには興味が無い。
人混みが嫌いだし
買い物をするにしても、バイク用品にしか興味のない人間には用なしの店しかない。
とは言え、好奇心と言うの失くさないでいたい。
興味のない場所に居ても、ふっと目を引いた景色を上手く切り取って
どんな風に写真におさめておけるかを考えるのは大好き。
傍から見たら写真ばっかり撮っていて変かもしれませんが
どんな一枚を残せるか、の興味がある限りは何処へ出かけてもそれなりに楽しめるものです。
お台場の観覧車に乗ったのですが
上からの眺めはありがちだと思ったので
下から撮ったこの写真がわりと好き。
華やかなはるか上を支える武骨な骨組み。
ライトアップは言うまでもないけれど
このアングルも夜の方がやはり美しい。
スカイツリーも良いけど
何となく東京タワーの方が好き。
この日のツリーは青白く光っていて無機質な感じで
東京タワーは赤く光ってなんだか温かかった。
親しみがある、てほど馴染み深いわけではないけど
造形の問題なのか
人間の手作りの感じがあるような気がして。
ゴンドラのガラスは残念ながらクリアではなく
少し白っぽい色をしていた。
ガラス越しに撮る工場地帯の灯りは
花火みたいに弾けて写った。
これも撮ってみないとわからないのだけど
偶然の産物の中にもお気に入りができたりする。
平日のこんな時間にも待ち時間があるほどにぎわっていた観覧車でしたけど
周囲から聞こえてくるのは、自分の子供たちぐらいの年齢の子達の楽しそうな声と
後は外国語だけ。
場違い感はあれど
乗ってみたい好奇心を大事にすることにした。
人間、歳を重ねて背負うものがあって
中々自由になる時間もお金もないとなると、興味の対象も段々縮小していく。
それでも僅かにできた隙間時間をいかに使うかで
好奇心の小さな芽を枯らさないでいられる。
若い頃何にでも持っていたはずの好奇心、それを追い求める心を
いつか何処かに置いて来ていたりしませんか?
いつまでもそれを追い求めている人間を、そうでない人は非難するかもしれない。
でもいつか子供の手も離れて肩の荷が下りた後
ふ、と気が付いてみれば何もすることが思いつかないような人生が待っている。
子供や孫にベッタリと依存する老人ではなく
自分の大事に育ててきた小さな好奇心の芽を
存分に花咲かせられる
そんな人生の集大成を楽しみにしている方が
幸せなんじゃないかと思うのです。