最高のサヨナラ
桜の開花予報が出る頃
テレビには毎年目黒川の桜が映し出される。
その都度苦い気持ちと共に思い出す
自分の過去の失敗
「目黒川の桜ヤバいっすよ~」
と、その人が嬉しそうに送って来てくれた桜の写真はもう手元にない
でも人間不信のかたまりだったその人が、桜を見た感動を私に送って来てくれたことが
とても嬉しかったのを覚えている。
自分の役割ぐらいは心得ているつもりだった。
人間不信で石のように固まっているその人の心が軟化して
一緒に笑えるようになって
みんなと笑えるようになって
少しずつ自分でも世界を広げられるようになって
彼が元気を取り戻していくのを喜びながら
やがて私の元を去っていく日に見送る事を
それでもやっぱりその日は
息もできないほど苦しかった。
その人が居ても居なくても
自分の人生に何の変わりがなくても
目黒川の桜の写真と
独りぼっちで見る翌年の桜の色は
全然違う色だった。
その人はその後もちょいちょい連絡をしてきては
図々しい事この上ない話を繰り返していた。
私が話を聞くからいけないのはわかっていたのだけど
聞けば気持ちがズタズタになるのもわかっているのだけど
どうしても完全に切れてしまう勇気を持てなかった。
結局その先の人間関係でも失敗し
新しい彼女にあっさり見捨てられ
仕事でも東京に残留できず
その人は目黒川のそばから去って行った。
なんのために1年彼に尽くし
なんのために別れの苦しさに打ちのめされ
それもこれも、その人が幸せになってくれれば、と思えばこそで
出会った事になんの意味もなかったのか、と
後の顛末を人から聞いて茫然としたものだった。
何も聞かなければ良かったな、とつくづく思った。
どんなに苦しくても、最も良い別離のタイミングはあったはずだったのに。
人間は弱いものだ。
少なくとも、あの頃の自分は寂しさに勝てなくて
ダラダラと縁を繋いでいた事が失敗だった、と今は思える。
目黒川の桜の季節に毎年思い出す
最低のさよならだった。
良い思い出を後々まで美しいままに残したければ
さよならのその日まで大好きでいて
後は2度と関わらないのが最も望ましい。
できそうで
そんなに簡単ではないけれど。