たった一人の誰か
人から良い人だな、と思われたいと思ったり
綺麗な人だな、と思われたいと思ったり
無垢な動物には無い
人間の承認欲求
自分のハッピーは自分の中にある
それは大事なこと。
だから人なんて関係ない。
私は私よ!
自分の思いが一番大切!
それは
なんか違うと思う。
主たる存在は自分であり
ハッピーは確かに自分の中にある
だけど、そのハッピーの中に
人のハッピーが入ったらもっと素敵なのに。
少なくとも嫌な思いをさせないと言うことは大事だと思う。
誰かのために自分がある時
相手が幸せだったら自分もハッピーであればそれは最高
逆に
誰かの不幸せ、誰かの不愉快の上に自分のハッピーがある人が
私は嫌い。
人の不幸は蜜の味
誰かの陰口、悪口、自分だけが可愛い想い
自分が傷つく事があった時
振り返って、自分を見れない自分の考えだけが大切な人
お幸せで
可哀想な人
100人1000人の人に良く思われたいと思ったら
自分の想いなんか殺してホントに良い人でなければならない。
わかってくれない人と
怒りを殺して気の遠くなる時間を話し合いに費やす。
そんなの人生の限りある時間の無駄遣い。
100人1000人の誰かより
たった一人の誰かがわかってくれたらそれで良いじゃない。
そう思ったら後の事は
ほっておけば良いのに。
誰のために綺麗でいたい?
誰のために生きていたい?
誰かの影口を言い合う仲間じゃない
甘やかしてくれる誰かじゃない
損得勘定が働く誰かじゃない
自分が愛したたった一人に好きでいてもらえたら
それで良いじゃない。
そういう人が一人でもいたら
相手にも心があるんだ、てことを学ぶことができるのに。
マルチに生きられない自分を恥じる必要なんてない。
愛しい誰かに愛される自分でいよう。
そんな存在に感謝しよう。
そのために生きれば良い。
その他の雑音は消してしまおう。
わかり合えないのなら
お互い無関心でいれば良いだけの事。
恨み節を呟く前に
たった一人の誰かを
自分より大切に想える存在を
自分はホントに持っているのか
振り返って見ると良いと思う。