好きなタイプ より 「好き」の心
好きなタイプは?
と、聞かれたら
大体の人は自分の好みがあると思うのです。
その「好き」がどこに由来しているのかと言えば
幼いころから見て来た光景
経験してきた心地よい思い出
自分に幸せの感覚をもたらしてくれる理由はきっと何かあるのだと思う。
それでも、経験したことがない
あるいは関わってみたことが無いものを
自分の「好き」から外してしまうのはとても勿体ない。
買い替えたばかりの新しいバイクに乗る時
それがどんなにデータ上では自分に合っていると納得して買ったのだとしても
初めて乗る時の違和感やドキドキは何度経験しても変わらない。
決して安くはない買い物。
その選択はホントに合っていたのか
自分の体に、走りにフィットするのか
そんなのはスペックだけでわかるものでもないし
理屈でもないし
数値の表をいくら眺めても体感はできない。
その答えは
乗って走って初めてわかる。
それがわかったならば
乗ってみたことのない人に何を言われても
自分の「好き」がおかしいなどと考える必要は全くない。
それはね、外見の好き嫌いとか
ハナから生理的に合わないとか
細胞レベルで拒否感がある事もあるだろうけれど
案外後々結婚した二人が
第一印象は悪くてね、なんて
思い出話をしていることはよくある事だったりする。
乗り越えられる印象の悪さなら
良く知ってみようと一度は努力してみるのも悪くない。
人であっても、動物であっても、モノであっても
「好き」
がたくさんある人は
自分の人生の幸せの数がそれだけ増える
歳と共にガチガチに固まっていた好きなタイプだって
何かのきっかけでコロッと変わったりすることもある。
だから定型化した好きなタイプに拘るのは案外自分の世界を小さくまとめてしまったりするのかもしれません。
余談ですが、我が一族は何故か夫婦の年が10歳は離れているのが代々続いています。
自分も若い頃からずっと年上のおじ様が大好きでしたが、それも遺伝なのかと思ってました。
でもいざ自分が歳をとってみれば
身の回りの年下もすでにおじ様だったりする現実(笑)
好きなタイプ、なんて定型は無意味ですね。
でも自分が何かを「好き」と思える心は
歳をとっても
いえ、歳を重ねるごとに増えていって
いつかの自分よりたくさんたくさん持っていたいものです。