共に走る
人は独りぼっちで生きている訳ではないから
色々な場面で誰かと手を携えないといけない事がある。
相手の事が好きか嫌いかとか関係なく
そうしないと物事が上手くいかない場面がたくさんありますね。
そうやって弱い人類は今日まで生き延び繁栄してきました。
荒野で独りぼっちで生き抜くための何ももたない生き物でも
群れをなし、知恵を分かち合い、仲間と助け合う事で生きてきたのです。
空を飛ぶ羽の代わりに飛行機を
速く走る足の代わりに車やバイクを
強靭な力の代わりに銃を
先駆者達の知恵はもちろんのこと
それを理解し協力した人々あってこその今日の文明。
人との関りを面倒に思う事があっても
その事は忘れてはいけない。
サーキットは他から隔絶された世界
自分とバイクと道にだけ没頭することが許されるクローズドの世界。
外の世界でそんなことやっていたら死んでしまうのだけど
ここでは外界をシャットアウトすることが許されます。
一人黙々と課題に取り組む時間はとても大切。
でもそこに、たまたま目標になる人が一人でもいると俄然そのスピードは上がる。
走っている間、言葉でのコミュニケーションは取れない。
走りで交わす意思。
一緒に走ろうぜ!
前を行く人も追う人も
その瞬間から全力投球になる。
その瞬間に生まれるパワーは一人では生みだせないものなのかもしれない。
もしもこの世界に
仕事や家庭、あらゆる義務と関係のない世界で
たった一人だけでも
君を理解しているよ、受け入れるよ、と言ってくれる人がいたら
人はより良く生きていけないだろうか。
ちゃんとやるべきことをやって生きていればそれで良いかもしれないけれど
その中で自分でも気づかぬ内に段々と溜まってゆく澱のような感情
一人で持て余し
誰にも理解してもらえない、と諦めて生きるより
何処かに居る理解者を探す努力をしてみる
その悲しみ、辛さ、寂しさ、そして爆発しそうな狂気・・・
そんなものを吐き出してしまっても受け入れてくれる人間がたった一人でもいたら
ある日突然爆発することにはならないかもしれない。
全力で誰かに受け入れてもらいたいと願った事がありますか。
そのすべてを理解し受け入れてみようと努力した事がありますか。
手を取り合い一緒に走ってみようと頑張ってみたことがありますか。
煩わしいと思う人との関りに
もう一度違う光を当ててみませんか。
その先に
より良く生きる道標が
きっとあると思うのです。