息子よ
どうしようもなくやり切れない日がある。
私の人生はずっとこんななのかと
叩かれた痛みより
心の痛みの方が酷く疼いて
息子を殴り返すぐらいなら、と
後でガラスの破片を拾い集めながら
自分の壊れかけた心も拾い集める。
そんな日ばかりじゃないよ、と
私には励ましてくれる人がいる。
だから大丈夫
きっと頑張れる。
暖かい言葉は心に沁みわたり、次の元気を私にくれる。
今度は私が息子を励まさなくては
彼には言葉が理解できないのだから。
お前が生まれてくれて幸せだったあの頃。
障害があるとわかっても、よりよく育ててやろうと頑張っていたあの頃。
私には希望があった。
せめて何を思って、何に怒っているのか
その心の中を覗けたなら
せめて意思の疎通ができたなら
お前の怒りを和らげてやることも
自分のやり場の無い悲しみも
鎮める事ができただろうに。
愛しき息子
お前の幸せは何処にある?
お前の怒りの源は何処にある?
共に探す事は出来ないの?
叩くなら人ではなく自分を
怖がられ、誰にも愛されない人になるぐらいなら
自分が痛い思いをしなさい。
私は悲しみを何処かに吐き出して帰るから
深い深いどん底からでも、また元気を取り戻してみせるから
笑顔でお帰り、て言ってあげるから
私に伝えて
お前の幸せは何処にある?
泣いてもいいですか?
1人でなら
泣いてもいいですか?
貴方が抱きしめてくれる日を待ちきれなくて
笑ってるのが辛くて
耐えられない日が
私にだってあるのです。
でも一緒に辛さを背負って欲しいとは思わない。
貴方にもいつも笑っていて欲しいから。
私以外に誰にわかってやれるの?
言葉で生きる人の世に
言葉を持たない我が息子
いつかの希望は
もう見えない
でもお前にはお前の
私には私の
それぞれ人生があります。
親も子も一蓮托生で共倒れ
それが一番ダメだなんだよ。
解ってやれなくてゴメン
でも笑っていてあげたいの。
苦しかったら伝える努力を
悲しかったら悲しみは何処か深く沈め
人は皆そうして1人で生きるもの。
お前とてもう
そんな人生を歩んでいる立派な大人なんだよ。