バリⅡ日記の独り言

自閉症児3人と親の介護をしながらの楽しいバイクライフ   日々をよりよく生きるための独り言

反省

 

 

 

 

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私はたくさんのバイク乗りに出会って来た。

 

ホントに密にお付き合いしてきた人も居れば

 

遠方で滅多に会えなくても、途切れずまた時間の巡り合わせで会える人も居る。

 

 

 

きちんと自分を確立し、思うように旅をしたり走ったり

 

自分と言うものがあって

 

一緒に走るけど自立していて

 

自分の信念や美学をちゃんと持っているバイク乗り。

 

 

もう一度会いたいと思うのはそんな大先輩達。

 

 

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だがたくさんの人と出会って来ると残念ながらそうでない人もいる。

 

縁が切れる理由と言うのは様々ではあるけれど

 

その中で私がどうしてももうこの人のそばには居られない、と自ら縁を切った人も居る。

 

その多くは恐らく幼少期に満たされなかった色々な欲求を抱えたまま大人になっている人々だった。

 

彼らは良い年になった現在も、自分で意識せずにその頃の欲求を満たそうと躍起になっている。

 

無償の愛情、自己顕示欲、欲求承認

 

そう言うのは親が子供に与える事があっても、大人になって他人に求めるものではない。

 

またきちんと自分と言う一人の人間を自分の力で確立できていたら、いつまでも過去の飢餓状態を埋めようと躍起になる必要もないのですが。

 

 

 

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それについては残念ながら自分もちゃんとできているとは言い難い。

 

生まれてすぐに兄が死んでいる。

 

その上私も生まれてすぐから喘息で、この子が死んだらもう子供はいらない、と両親が思いながら育てた娘。

 

自閉症独特の周囲と上手くやれない、孤立した娘。

 

その娘を保護すると言う名目の元、一切の思考を取り上げ支配下に置いていないと気が済まなかった母親。

 

ネグレクトとは逆パターンではあるが、これはこれで一つの虐待であり

 

私は自分で考えて行動するとはいかなることか、と言うのをだいぶ大きくなるまで知らないで育った。

 

だから私の人生は2度スタートがあったと思っている。

 

産声をあげた瞬間と

 

自分はおかしいんだ、と気が付いた瞬間からだ。

 

 

 

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もしかするとそんな私に似たような人間が寄って来るのかもしれない。

 

でも私はそうでない人間が好き。

 

自己実現がきちんとできていて、自分で考え行動し

 

だからといって無尽蔵に自分の懐が空いてるわけじゃない事もちゃんとわかっているから

 

人付き合いも自分のできるペースで。

 

そういう人間になりたいと、自分の足で立ったあの日からそう思い続けているのに

 

もっともっとと要求してくる、私に何かの代替物を求める人間を拒否できない自分がいる。

 

パンパンになるまで懐いっぱいに彼らの要求を受け入れたあと

 

結局どこかでパンクする。

 

 

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人間嫌いになったわけじゃない。

 

でも大好きな人も大嫌いな人も

 

あんまりたくさん居るとしんどくなる。

 

 

自分はもっともっと、と何かを求めてはいなかったか。

 

欲深くはなかったか。

 

もっとできる事があったんじゃないのか。

 

自分の限界をちゃんと知っているのか。

 

 

生きているとずっと反省の繰り返しになる。

 

だけど絶対自分は悪くないと言い続ける人間よりは

 

失敗したら反省する人間の方がまだ救いがあるような気がしている。

 

 

だから日々反省することがある、と言うのは悪くない気もしている。