バリⅡ日記の独り言

自閉症児3人と親の介護をしながらの楽しいバイクライフ   日々をよりよく生きるための独り言

食への感謝


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食欲は生き物の大切な生存欲求であります。

 

これが最後まで生きるバロメーターになると言っても過言ではありません。

 

食べないと言う事が快感になったら、それはもう遠回しの自殺と同じ。

 

これは昔自分が精神科で言われた言葉です。

 

 

だがしかし、昔なら贅沢だった食生活が当たり前になり過ぎた現代人

 

ホントの意味で食べるための苦労を知っている人は少ない。

 

 

今目の前にある食べ物がこの姿になるまでの苦労を全部したことがある人はほとんどいないだろう。

 

 


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私の両親はそれほど食べるに苦労した人たちではなかったのですが、やはり祖父母の時代になるとその苦労話は今では考えられなかった。

 

まだ自分の同年代では幼少期に食べるに苦労した、と言う話をする人が居ないこともない。

 

お金を稼ぐ、ではなく今日食べるものを手に入れるためにどうしたらいいのか。

 

その苦労をした人間の知恵はたくましさに溢れており

 

人間形成においても裕福に恵まれて育った人々と明らかに精神的たくましさが違う。

 

ホントに生命の危機を感じるような苦労をしたことのある平成生まれはどのぐらいいるのだろう。

 

 



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 猟で捕れたイノシシの肉、河原で釣ったすっぽん。

 

そう言うのを食している友人がいてたまにおすそ分けをくれる。

 

彼は年齢よりかなり若く見え、肌艶も良く、そして精神的に明るく常に元気であります。

 

 

見慣れぬ自分には最初はぎょっとなるようなものでありました。

 

バラバラの部品になっているすっぽんだって、こうなるまで生きていたのだ。

 

 

釣って、生け捕りにして、一週間は泥吐きをさせる。

 

その後絞めるのだ。

 

その姿がぎょっとするようなものであればあるほど、感謝の念はつのり

 

命をいただくありがたみを痛感する。

 

 

だから煮溶けて骨だけになるまですべてを使い切ることに腐心する。

 

その骨ですら土に返るように毎度庭に埋めている。

 

 

 


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はるかの昔から火の恩恵にあずかり人は今の世界を築いている。

 

だが危険をおそれるあまり、今の生活において火と言うものを間近で見ることも少なくなった。

 

安全な生活のかわりに、火との付き合い方を忘れつつある子供たち。

 

 

重度知的障害の長男が一番野生の勘が鋭い。

 

たとえそれが花火であろうと、怖がって決してそばにはよらない。

 

あついと言うことに極端に過敏であります。

 

それが正解な気もする。

 

 

花火を楽しむことはあっても、それが自分の生きる上で必要なものだと言う認識は薄れてはいないだろうか。

 

エアコンやIHに慣れ、生きるに必要な火と別ものになりつつある気がする。

 

 

それと同じように、スーパーに綺麗に陳列されているものだけが食べ物であり

 

その前に泥まみれになって育て収穫する、生きているモノを殺して血を流す

 

 

そう言う事も忘れる、と言うよりもはや知らないのではないかと不安になる。

 

 


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今日食べられること

 

ありがたいと心の底から思ったら何一つおろそかにはできない。

 

自分が健康で食事が美味しい事。

 

目の前には命を繋ぐ食料が当たり前に調理されて並んでいること。

 

 

ホントは当たり前じゃないそんなことが

 

実はどれだけ幸せな事なのかを

 

食べ過ぎる、無駄にすると言う事が罪悪であることも

 

 

自閉症の我が子達にきちんと伝えられているのか

 

今の自分も甚だ自信がなく

 

まだまだ教えておかなければならないことがたくさんある、と日々考えております。