まあいっか
一般の世の中で生きてる皆様はどうなんでしょ?
まあいっか、て日々過ごしていらっしゃいますか。
そればっかじゃダメなこの世の中ですが
適当な所でまあいっか、て自分でケリをつけられると言うのは実はすごい事なんですよ。
それができないと大変苦しい人生が待っています。
大体、適当、良い塩梅、おおよそ・・・
日本語の表現には茫洋としたものが多い。
何故こうクッキリとモノを言わない言語の文化になったのだろう。
これが察すると言う事が下手な自閉症の人間には鬼門になって来る。
小学校高学年ぐらいになるとそんな茫洋とした物言いが友達同士でも出てくるので人間関係にけつまずくのもこの辺りからになってくる。
適当、てどのぐらい?
大体、てどのぐらい?
て、一々聞き返してたらめんどくさいやつになっちまう。
そして冗談が通じない。
これと似たような感じで、まあこのぐらいでいいか、て言う
「まあいいか」
と言う納得の仕方がへたくそなんデス。
かつて末っ子の言語訓練に通っていた頃
「まあいっか、て言うのを常々教えてあげて下さい。」
と先生に教えられたのですが
小学校に上がった頃それが意味するのがどんなことなのかハッキリわかって来ました。
高機能の子にありがちな一番病を発症したのです。
給食は一番に食べ終わらないといけない
髪の毛は一番長くないといけない
テストは100点でなければダメ
なんじゃなんじゃ、と思っていたら
一番でなければならない項目が増えていく。
これも原因は
「まあ90点でも頑張ったからいいか」
て、納得の仕方ができないんですね。
だから本人が90点のテストで死ぬほど落ち込んでいる時も褒めちぎることにした。
スゴイじゃん、1個しか間違えてないよ!
この一個、次の時忘れないようにしようね!
もうね、一事が万事こんな感じなので
親も褒める言葉のボキャブラリーを増やしておかないと大変でした。
やがて娘も成長し、自分がいつも一番ではいられない現実に突き当たり
それでも良いんだ、と私が肯定し続ける事で
段々と納得するようになってきました。
ことほど左様に、まあこのぐらいならいいか、て
茫洋とした納得の仕方ができる、て大切な事なんですよ。
だから日本語、て偉大ですよね。
私は潔癖君みたいな人種が苦手です。
どんなことにも、まあいっか、の落としどころは持っておいた方が良い。
ちょっとぐらい散らかっていても汚れていても、生きていけるたくましさは生物として持っている方が遺伝子を残していける強さを持っているような気がする。
それはクラッチレバーで言ったら遊びの部分であり
人間で言うと、余裕と置き換えてもいいと思うのであります。
許される所とそうでない所はあります。
でも自分基準ぐらいは
「まあいいか」
て思える事を
大事にしましょうね。