バリⅡ日記の独り言

自閉症児3人と親の介護をしながらの楽しいバイクライフ   日々をよりよく生きるための独り言

己を知る


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生きていくと言う事は真剣勝負。

 

現代社会では時として人の中で揉まれて溺れそうになることもある。

 

自分はなんで上手くやれないんだろう

 

どうして人と違うんだろう。

 

どうしてみんなが感じるように同じ事を共感できないんだろう。

 

 

言葉を持たなかった人類が選択した進化の方向は

 

情報の伝達によって生き延びる

 

過去の教えを受け取り、横のつながりと共有し、そして後へ伝えていく事だった。

 

 

 


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人類が選択しなかったもう一つの進化の方向。

 

それは言葉での情報の伝達ではなく、各々が持っている能力をフルに活かし

 

適材適所にその能力を発揮し、群れを守る事だった。

 

ある者は並外れた聴覚で遠くからの物音を察知し、ある者は遠くまで見える視覚を使い、ある者は手先の器用さを使い

 

危険の察知や獲物の獲得、技術の進化をしていたそうだ。

 

その能力のDNAを継承しているのは他ならぬ現代では自閉症と言われてしまう部類の人たち。

 

だがしかし言葉での情報伝達を獲得した大多数の人類が作り上げた現代ではそれらの能力は発揮される場面がなく、一部は障害として取り扱われるようになった。

 

聴覚過敏、味覚過敏、視覚過敏

 

どれも実は遥か昔人類が生き残るために必要な能力だったはずだ。

 



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二人目の子供が自閉症であると診断された時、当時の主治医は気の毒そうな顔をして私に言った。

 

「あなたも生きて来るの大変だったでしょう。」

 

にわかには意味が理解できず、トンチンカンな答えを返す私に

 

「二人ともにお子さんが自閉症と言う事はあなたも、そして恐らく別れたご主人もそうであったと考えるのが自然です。」

 

 

数秒して医者の言う意味が飲み込めた私は矢継ぎ早に聞いてみた。

 

それじゃ先生、私が頭で考えてるのと手が連動しないのも

 

人の顔がどうしても見分けがつかないのも

 

団体生活があんなに苦しかったのも

 

みんな私が自閉症だったからですか?

 

医者は仏様のような笑顔で言う。

 

「対処できていればいいのです。それを障害とは呼ばない。あなたならお子さんたちの事をわかってあげられるはずです。」

 

 


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 3人目に産んだ父親違いの娘までが自閉症だとわかった時、あの医者の言ったことは動かぬ事実となった気がする。

 

だがあの言葉を聞いた時の私の気持ちを正直に言うならば

 

ホッとしたのだ。

 

どうしてみんなと同じようにやれない、どうして理解できない、変だ、おかしい

 

そう言われ続け

 

「お前は馬鹿なんだから何も考えなくていい。私の言う事さえ聞いていればそれでいいのだ。」

 

と言う母親からの言葉の暴力を受け続けて育ったのも

 

自分には自閉症であると言う基盤があり、それを周囲が理解しておらず

 

自分がおかしいのではなく

 

自分は人と違うだけなのだ、と理解できたからだ。

 

 


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自閉症の子供たちが教えてくれたのだ。

 

大多数の人間と違うことがおかしい、と言うことではない。

 

それは生き抜くことができれば単なる個性でしかない。

 

私もまた彼らと同じ種族の末裔だっただけだ。

 

 

このマルチな人類が作り上げた世界でも生き延びる方法はある。

 

知的な障害が合併して重症でなければ、どうにかしてやり過ごして生きている人たちがたくさんいる。

 

躓き悩みつつ、自覚も無ければ相談もできぬままに周囲を見渡して上手くやる方法だけを学んで生きている。

 

もしも生き辛いと思いながら日々を何とか乗り切る事に腐心している人がいたら伝えたい。

 

あなたは悪くない。

 

馬鹿でもなければダメでもない。

 

 


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それでも現代社会で生きていかねばならぬのなら

 

自分の事を自分だけでも知っていてあげた方が良い。

 

 

上手くそつなく笑顔で生きている人たちを羨ましそうに眺めるのではなく

 

自分には能力のがたつきがあったとしても、きっと人に無い才能があるはず。

 

 

人間のスペックなんてバイクと一緒。

 

限られた性能の中で、出来る事があればできない事がある。

 

マルチなバイクを愛する人もいれば、ある部分に特化した性能を持ったバイクを愛する人も居る。

 

出来ない事がある分、どこかに人に秀でたものがきっとある。

 

その才能を活かせるのは他ならぬ自分だけ。

 

 

自分の授かった体、頭脳、能力

 

自分が己を知ることによってしか、それらを上手く使いこなして走り続けることはできないのだ。