少数派でも
良い歳をしてバイクの免許を取るまで
エンジンのかけ方さえ知らなかった私には
当然正しいと思われる走り方はわからなかった。
1人で黙々とお散歩してただけなのだ。
バイク雑誌も見なきゃレースにも興味ない。
そんな私の走りはこの小さなバリオスⅡが教えてくれた事だけがほぼ全てだった。
他のどんなバイクであろうと、1000ccのバイクに乗ろうと
走り方はみんな一緒。
いわゆる小排気量の走り方しかできないのだ。
そんな私の走り方を見た人は
100人いたら99人まではおかしいよ、危ないよ、と言う。
何故ならあんまりにもブレーキを使わないからだ。
そんな99人中の一人がこの人
アメブロのブログを見て、奥多摩まではるばる片道120キロを乗り越えて会いにやって来てくれた読者だった。
いかにも峠の走り屋風情の漂う膝すりスタイルで
正直おっかなかったので^^;
あんまり傍によらなかった(笑)
でもこの2人の少数派の走りがマッチしたのだ。
その一種独特な走り方によって
1人はおかしいよ、と言われ続け
1人は危ないから一緒に走りたくないと言われ
何処かで探していた解り合える誰かと
他の何でもない、走りで理解し合えた。
もちろん、片方の努力によってなのだけど。
「いつも後から追ってたんだよ。一緒に走りたくてここまで走って来てるんだ。」
その言葉だけで
自分はおかしい、と思い込んでいた全てが
一瞬にして瓦解する。
別に何を間違えていた訳でもない。
ただ大多数の人に理解してもらえないと言うだけのこと。
わかり合える、て素晴らしい。
歴史も実力も違うのに
今は誰にも解って貰えなかったその場所へ
共に走れるその幸せ
世界にたった一人で良い
自分は解るよ、て言ってくれる人が居たら
それだけで幸せだったりしませんか。
だからたとえどんなに少数派でも理解できるものなら
自分も解るよ、てちゃんと伝えたいと思う。