明日春が来たら
肌を刺すようだった冷たい風が温くなって
春の使者がやって来る。
私は相変わらず折れた足を引きずって冬ごもりだけど
明日は君に会いに行こう
そこにはいつもと違う時間が待っている。
去年と違う色に見える春。
桜の木はずっと変わらずにそこに立っていて
相変わらず春になれば花を咲かせる。
だけどそれを見上げる人の心は変わっていく。
その心の在り様で
春の景色も色を変える。
去年の貴方は何見てた?
出会いがあれば別れもめぐって来る春。
さようならの後は、もう二度と会えないかもしれないけれど
一緒に見た春の残像は
心の中にちゃんと残っている。
今までの春がそうであったように
これから先も増えていく
短い春の景色は
出会いも別れもみんな宝物。
これから先
ずっと一緒に春の景色を見よう。
私はずっと変わらないでいるから
貴方も変わらないでいて
遠い昔からずっとそこに立つ桜の木のように
何度も巡り来る春の残像を
共に見た景色を
一緒に走る相変わらずの道を
たくさん一緒に思い出せるように
ふ、と瞬きする間に過ぎてゆく
美しく短い季節
だけどずっと忘れない
美しい春
今年の春は
どんな色?
自由
骨折してもう少しで半月がたとうとしている。
他は元気なのだけど、動いてはいけないからじっとしている日々に
何か感動を拾って日記を書くと言うのができなくなってきていた。
感性も、時間の観念も、何か頑張ろうと言う気力も
じっとしていると日々薄れていく。
でもここしばらくはちょっとずつ痛みが引いてギブスが取れて
一度失った自由を少しずつ取り戻す過程を味わっている。
入院していた頃、ほんの少しの自由もなくなって
呼吸さえ機械に繋がれて
隔離室で天井を見上げるだけの時間を過ごしていた時思った。
自分で胸いっぱいに息ができる
寝返りができる
座れる、立てる
トイレに行ける
お風呂に入れる
食べれる
そんな日々当たり前に思っている事がどんなに素晴らしい事だったのだろう、と。
あの時も拘束が一つ外れるごとに
一つずつ自由が戻ってきた。
今痛みが取れ、ギプスが外れる過程で
あの時の再現をしているような気持になる。
昨日はできなかったけど
今日は大丈夫。
ビッコ歩きでしか動けなかったけど
今はそ~っと自転車に乗れる。
包帯を調整すれば
ちゃんと両方揃った靴で外に出る事もできる。
ちょっとだけ遠くへお散歩することもできるようになった。
ギプスを着けた足で歩くのに疲れて
道端にしゃがみこんで見上げた空はなんだかとっても高かった。
すごく小さく思えた。
日々仕事だ学校だ、と
自分には自由なんか無いと感じてしまう日々だったとしても
思い出して欲しい。
今貴方は自分の足で大地にしっかりと立ち
自分の思う通りに動く自由をすでに持っているのだ。
生まれつきその自由を持てなかった人も居る。
でも貴方は人生の初めから自由を獲得しているのだ。
時間が過ぎれば元に戻る。
だから忘れてはいけないこの不自由な時間。
そして一つずつ取り戻す自由に
また日々感動する心を忘れないでいたい。
どんなにしんどいと思う日々も乗り越えて行ける
みんな自由の翼をなにか持っているはずだから。
境界型自閉症と車の免許
我が家の長男長女はそれぞれ障害者手帳を持っている。
当然度数は違うが、境界型の長女も4度とは言えちゃんと障害者と認定されている。
この知的境界型の子供たちの苦労を高校時代にまざまざと見せられた。
受験を経て都立の特別支援学校に入りました。
でもギリギリだから手帳あげられません、と東京都に突っぱねられてしまったら彼らに行き場はない。
何故ならば特別支援学校を出ても高校卒業の資格はなく
企業が欲しいのは障害者として認められた人間なのだから。
精神手帳を取ったり、障害者枠を埋めたい企業と関係ない所へ行くしか無いのだ。
知能検査でギリギリだった長女が何故手帳を貰えたのかと言うと、決定打は言語障害だった。
ある程度普通の人と遜色ない感覚を持ちながら
彼女には検査する方の言葉に的確に反応したり、書類に書かれている文章を理解する事ができなかった。
しかし自閉症ならではの能力のガタツキは彼女の場合数字や機械に偏っていた。
高校時代にパソコンの資格を取らせ、フォークリフトの扱いも学んだ。
そんな長女を企業が欲しがったのも無理はない。
裏方仕事なら抜群の能力を示すのだ。
大企業の特別子会社という狭き門から、ご指名が来ての最高の就職だった。
私は母としての最後のプレゼントに、と自動車の普通免許を取らせるために就職が決まってすぐ長女を教習所に入れた。
手帳4度の人なら免許を取りに来る人はけっこう居るんですよ、と教習所の人は教えてくれた。
車の運転ぐらい長女にはなんて事なかった。
私が運転してるのを見て操作は記憶していた。
実技は1つも落とす事はなかった。
しかしとうとう車の免許を取れる日は来なかった。
何故ならば、学科の問題の文章が理解できないのだ。
引っ掛け、ひねり、類似問題。
たった1つの正解を導き出す事。
彼女には数字でならそれができても、文章ではできなかったのだ。
悔しかった。
これが限界なのか、とあの時思い知った。
時間をかければあるいは可能なのかもしれない。
だが就職してから気の遠くなるような時間を取ることは難しく
本人も無理だ、と
免許取得を諦めたのだ。
もしもこの先チャレンジしてみよう、あるいはさせてあげようと思う方がいたらこれだけは事前に覚悟しておいて損は無い。
焦らず、時間をかけて取り組める環境を与えてあげる事が不可欠なのです。
車を運転する能力があっても、問題の文章が理解できない不条理を思った。
退会手続きをしながらドブに捨てたような10数万を支払った。
またいつかチャレンジしてみると言ったら、私は全力で応援する気でいる。
しかし勿体ないね。
機械を扱う能力なら並外れて持ってるのに。
この世の中はマルチな人間のためにできている。
上の合成写真は長女が作ってくれた。
彼女は携帯1つ持っていれば世界を無限に広げていく。
言語に偏っていた私とは違う世界に生きている。
慣れ (地獄の担々麺護摩龍)
以前、どうしたら辛いモノが食べられるようになるんですか、と聞かれた事がある。
はて?
どうやって今の激辛好きになったのか?
別になろうと思ってなった訳ではないのだけど。
最初はちょっと香辛料を使ったらその方が美味しかったんだと思う。
段々と刺激が足りなくなり
もうちょっと入れたらどうか?
もっと辛い香辛料はないのか?
そうやっていつの間にか普通の人なら辛いだけの味が
辛くてもちゃんと味がわかるように舌が慣れた、と言うのが経緯なんじゃないかと思うのですが。
上のカップラーメンは療養中の私に長女がお見舞いにくれたものw
以前テレビで見たことのあるお店です。
これは一度行ってみたいものだ、と思ったのですが
食べている人の苦悶の表情を見ているとさすがにしり込みしちゃいます。
さっそく作ってみるとさほど地獄色はしてないのです。
熱湯5分、後入れの小袋が二つもあってメンドクサイ。
お店の激辛メニューの中では3番目ぐらいのランク付けなのかな。
テレビで見た血の池地獄、てのが興味あったんですけど。
ところがこれ、普通に一口啜ってむせたw
カップラーメンでこのクオリティ!!
コンビニでも売れるのか・・・
これに比べたら中本さんのカップラーメンがお子様用に感じるわたくし。
市販されているカップラーメンがこれならお店に行ったらさすがの私も悶絶するかもしれない。
一度行ってみたいものだ。
興味のある方は一度お試しあれ。
まあそんな
体にはあんまりよくない療養をしているのですが
人間、てのは何でも慣れるもので
刺激を刺激として感じないようにいずれなっていく生き物なのです。
なんだって慣れるから淡々と日々を生きていけるのでありますが
一度刺激のまったくない所に身を置いてみるといいのではないかと思うのです。
ちょいちょいプチ断食をするのですが
その後食べる雑炊の美味しさ、たらないですよ。
わたくしの場合は、まったくバイクに乗れない今の生活が
病院のベッドの中のような感じで
乗りたい、乗りたい、と言う切望も
段々と諦めに変わってきております。
多分、あまりにもストレス過ぎて精神が耐えられず
水面下に叶わぬ希望を押し込めて慣れた顔しているだけなんだと
そんな気がしています。
晴れてお医者様より完治のお墨付きをいただき、バイクに乗れた暁には
恐らく初めてバイクに乗った時のような素晴らしい喜びが待っているのだ、と
今はそう信じて、骨がくっつくのをじっと待っております。
一回刺激から離れてみたら
慣れてしまった感性は復活するのではないかと。
刺激を感受するアンテナはしっかり立てておきたいものです。
とは言え
今更辛くないラーメンを食べたいとは思わないのですが(笑)
有難い事
みんなで走るいつもの水曜日
私は走れないけど
暖かかった昨日、みんなは走っていた。
一緒のようでバラバラと
それぞれの道を走っていた。
療養中だから
ブログネタ送ってね、と冗談まじりに話していたら
ホントにみんなからたくさん写真を送って来てくれた。
楽しそうに走るみんなを羨ましく眺める一方
おかげでなんだか自分も久しぶりの山道を楽しんでいる気分になれた。
仲間、ていいね。
みんなが楽しそうだと
自分も楽しい。
うずくまってうつらうつらしているのが勿体なくて
大人しくしていないと骨折も治らないとわかっているけど
包帯を外して外へ飛び出したくなる。
自分だけが冬眠しているような
そんな気分にはなるけれど
みんなの送ってくれる外の世界の光が
穴倉でうずくまる私の元へも差し込んでくる。
早く私も戻ろう
みんなと笑い合えるあの場所へ
もうすぐホントの春がやってくる。
足に残る鈍い痛みと向き合いながら
一分一秒、一歩一歩、
光の差すあの場所へ
戻れる日が近づいていると信じて
どんなに大病をしても、元気になると忘れてしまう。
健康のありがたみ。
もう一度動けなくなって思い出す
歩けることが
走れることが
食べられる事が
見える事が
何処へでも自分で行ける素晴らしさが
身に沁みる。
様々な事が実は「有難い」事なんだ、と
もう一度思い出してみろ
誰かにそう言われたんだと
そんな気がしている。
茶飲み友達
足を怪我した私に友達がお見舞いをくれた。
動けないから食事制限をしている私に
猛毒のようなあま~いスイーツをくれたりして
いけないとわかっていても誘惑に負けちゃう自分を笑いつつ
これを食べさせてあげよう、と思った友人の気持ちに感謝する。
わざわざお見舞い持ってきてくれたのに
立ち話もなんだから、て
お茶タイム。
いつもはバイクに乗る時しか会わない友達だけど
お互いバイクウェアでない姿で
タバコも酒も無い席で
思い出話、これから行きたい所、バイク談義、仲間の話・・・
尽きない話に
共に過ごした年月を感じる。
バイクが変わっても
一緒に走る仲間が入れ替わり立ち代わりしても
いつも一緒だった3人。
走る方向性がみんな違ってきて
ベッタリではなくなったけど
それでもいつも特別な友達。
きっともっとずっと先
歳とって爺さん婆さんになっても
なんかバイクには乗って
どっかで茶飲み会やってるような気がする。
それにしてもこのお見舞い(^^;
「カルシウム取れよ」
て、最高w
その内深刻になってきたら
お返しに育毛剤でもプレゼントするかな(笑)
春まだ遠く
空がこんなに青いのが恨めしく思える事なんて滅多にない。
外が寒かったり雪だったりすれば諦めもつくものを。
空気が温くなってきて、梅の花が咲いて。
空は澄んで青く爽やかな春の陽気。
骨折療養中の身の上であれば、こんな良い日和にバイクを動かすこともできない。
自分が悪いんだけどさ。
歩いてみた。
せめて今の不自由な自分の足で。
春の使者がそこここに
もうすぐそこまで来ているのに。
私の歩みは信じられないほど遅く
少しも前へ進まない。
年中行事の美容院へ行ってきた。
一回手入れしてもらうのに4時間がかりだ。
「相変わらず毛が多くて大変w」
手術の後、ひどく脱毛して眉毛もまつ毛も髪も薄くなってしまったけど
1年半の月日の間にすっかり復活した。
「東洋人の毛髪の平均は10~11万本、西洋人は13万本と言います。あなたの場合は12万本ぐらいはありそう。」
冬枯れで寂しくなった土の上に、また緑が芽吹くように
体は徐々に元に戻っていく。
この足もその内治るのだから
今はじっと耐えるしかない。
帰り道、用事も済ませたいと頑張ったのだけど
ダメだった。
折れた足を庇うように歩くと
反対の足が疲労してもう動けないと言う。
いつもの何倍もかかって歩く道は、なんだか景色が良く見える。
ユックリ歩いてないと、道端の景色なんて中々見ないものだ。
あっという間に季節が移ろい、春はすぐそこまで来ているけど
私の春はもう少し先へ伸びたようだ。